朝の食卓

幸せの基準

朝起きて、みんなにおはようを言う。ご飯を作って家族みんなで食べる。
「とーちゃん、馬やってー」とせがまれて、子どもを背中に乗せて歩き回る。子どもたちを連れて犬の散歩をする。
そんないつもの日、ふと「幸せの基準」ってなんだろうな…なんてことを思った。
たとえば仕事上の素晴らしい成果や地位、完璧な家庭生活、たくさんの財産などを幸せの基準にするとしたら、我が家は「幸せな生活」になんかなれそうもない。
でも、家族とのおはようのあいさつ、暖かくなっていく日々を感じながら雪の下から顔をのぞかせる緑を見つけたこと、キツツキが木を叩く音、子ども達と入るお風呂、美味しいご飯などを幸せの基準にするのだったら、それは毎日がいっぱいの幸せだ。
あたたかい日曜日、なにもないけれど「今日はいい日だねえ」なんていう3歳児の言葉になごむ。またオモチャを取り合ってケンカして、ギャーギャー騒々しい兄弟を見守る。日々繰り返される、そんないつもの風景こそが、本当は幸せなこと。
もちろん、そんな気分になれないことも多いけれど、でもそんな毎日の暮らしのなかに心から楽しめることを見つけたい。
いつもの出来事でも、それがあることそのものが実は奇跡で、ありがたいのかもしれない。そう思うとそれだけで日々の気持ちが変わる。いつもの毎日に感謝しよう。
どうかみんなの日々が幸せでありますように。

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昨年から連載している北海道新聞の「朝の食卓」の前回掲載ぶんです。