名前を考える

日曜日の夕方、急に妻の具合が悪くなり、腰痛と腹痛を訴えた。
これはもう出産か!?ということで、予定をキャンセルしてあわてて家に帰り、すぐに出発の支度。
持ち物を再度確認してクルマに積み、犬にご飯をあげて花に水をやり、ベッドに横になって様子をみていたら、 そのまま具合の悪さは収まってしまった。

深夜に始まったときのことを考えて早く寝よう…とベッドに入ったものの、気づいたら朝。
今日になると、妻も元気になり、どうやらまだ出てこない様子。
そんな今日は38週3日目で、いまところ産まれる気配なし。

さて、このところ新しく産まれてくる息子の名前を考えている。
新しく産まれてくる小さな家族のことを考えながら、子どもの名前を考える時間は、とても楽しく、また素敵な時間だ。

名前は良くも悪くも一生持ち続ける大事なものだし、そもそも親から子どもへの最初にして最大の贈りもの。
だから本当によく考えて、子どもの人生がどうあって欲しいかを思い、時間をかけ心をこめて命名してあげたい。

命名というと「音の響き」から決める場合や、姓名判断?などの占いで決める場合、意味で決める場合、夢のお告げ? などいろいろあると思うけれど、我が家の命名ポリシーは原則的には意味重視だ。

基本的には「こういう人間になって欲しい」あるいは「こういう人生を歩んで欲しい」という願いを込めたいので、 音を決めて当てはまる漢字を探すのではなく、先に漢字を決めたい。

名前にはコンセプトを入れたいし、子ども自身が「自分はこんなふうに名前をつけてもらった」と胸を張って生きていける名前にしたい。

自分自身は「豊」という名前だけど、ちゃんと親のつけてくれた意図がわかるので、すごく気に入っているし、 子どもにも将来そう言ってもらえる名前をつけたい。

姓名判断とか画数などは一切気にしないけど、でもやっぱり読みやすさ、発音しやすさなども大事だと思うし、 あんまり流行の名前は避けたいし…。

そこでいろいろな名前を考えては、印刷して妻と一緒に、あーでもないこーでもない、、という日々。

名前で人生や人間が決まるとはまったく思えないけど、でもまわりの人々を見ていると、 なんとなくその生きざまと名前の間には関連性があるような、ないような…。

最終的にはいくつか候補を挙げておいて、あとは子どもが産まれて、その顔を見て、そして本人と話をして?、エイっと決めよう。

なんにしても子どもとの対面が本当に楽しみだ。