解放区

先日、自分の両親が遊びに来ていたけれど、その期間中、新しい発見をした。

それは自分が育った家は「家族の前でオナラをしない家庭」で、いま妻と営んでいる家庭は「家族の前でオナラをする家庭」だ、 ということ。

妻と家族になってだいぶ経つので、もともとは家族と一緒にいるときにオナラをしない、なんてことはもうすっかり忘れていて、 でもやっぱり両親と一緒にいるとそれを思い出し、なんだか余計に気になってしまう。

自分たち夫婦だってもちろん知り合って付き合いだした頃はオナラなんかするわけないから、 きっとなにかのきっかけでどちらかがオナラを遠慮無くするようになり、そして今日に至っているのだと思う。
結婚するより前だったか、後だったか、それはもうわからないけれど。

きっと自分の両親は夫婦の間でもしないのだろう。

親しき仲にも礼儀あり、というのもわからないでもないのだけれど、でもやっぱり「する家庭」から「しない家庭」を見ると、 やっぱり人間の生理現象なのに不自然な感じがする。

一方で、妻の実家、すなわち妻の育った家庭は「家族の前でオナラをする家庭」で、いまとなっては自分が彼らの家に泊まりに行っても、 また彼らがこの家に遊びに来ても、お互い遠慮なくガス抜きをしている。

どことなく自分と自分の両親の間の心理的距離と、妻と妻の両親の間の心理的距離を比較すると、 妻は両親に対してほとんど気を遣わず言いたいことを好きなように言い放っているのに対し、 自分は自分の両親に対していつもなんだか気を遣っていて、お互いなんとなく核心に触れることは言いにくかったりして、 どことなく距離があるように感じることが多い。

今回の両親との5日間の旅行、昨年秋に5日間妻の両親が遊びに来ていたときには感じなかった、妙な気疲れを感じもしたけれど、 そんなものとも少し関係があるのかもしれない。

やっぱり家族なんだから、オナラのひとつふたつはいつも笑いのネタにするような関係でいたいし、 子ども達が将来築く家庭もそうであって欲しい。

我が家はこれからもずっと「おなら解放区」だ。