今日はスーパーでなかなか良さそうなアジを見かけたので、夕飯のおかずに買ってきた。
北海道ではアジってとれないのか、あまりよく見る魚ではないのだけど、たまにはお刺身にでもしてみよう。
頭を落として内臓を取っていると、アジの血のにおいがしてくる。
ああ、アジの血のにおい....。
…このにおいを嗅ぐと、実家のちょっと暗い台所と、そこに立って料理をしている自分の父親の背中を思い出す。
自分の育った鎌倉の家は、よくアジのお刺身を作っていた。
それを作るのは、どういうわけか、いつも父親の役目。
平日休日を問わず、「アジをさばく」といえば父。
とんとん叩いてタタキにしていたり、上手に飾り付けて刺身にしていたり。
それをお醤油につけて食べるのが、3人の子どもたちの大好物。
「骨残っているかもしれないから気をつけろよ~」が父の口癖だった。
…そうそう、父もこうやって中骨を骨抜きを使って取っていたっけ。
少しつみれにでもしてハルトにあげようと思い、自分もていねいに中骨を取る。
とはいえ、骨はとても小さくて、なかなか全部完璧にとるのは難しい。
父は「気をつけろよ」なんて言っても、実際には残っていることなんて一度もなかったなー。
当時はそれが当たり前で、なんにも考えなかったけれど、いま思えばただそれだけのことを実現するにも結構難しいことだということがよくわかる。
結局、すべての骨がちゃんと取れている自信がなくて、ハルトにあげるのは止めにした。
ご飯を食べていると、あんなに洗ったのにやっぱり右手に血のにおいが残っていて、やっぱり手のにおいを気にしている父の姿がまたよみがえってくる。
先週、母がこっちに来ていて、ハルトと遊んで満足そうに帰っていった。
母からはメールも来るし、電話で話すこともあるけれど、父はそういうのが苦手なので、最近はハルトの近況を報告してもいない。
8月のお盆は暑い本州に帰るつもりは無いのだけど、少し涼しくなってきたら、ハルトを見せに帰ろうかな。
自分の作ったちょっと不細工なお刺身を食べながら、そんなことを考えた。
もく
こんにちは。
ブログを読んで小さい昔を思い出してしまいました。
私はいつも夕飯の時、父のあぐらの上に座り、焼き魚を骨からきれいに取り分けて小さな飯椀の上に並べてくれる父でした。食べるスピードが鈍い私は食べても食べてもお魚の身が減らなかった事を思い出しました。
今では老いて不自由な身体になっても、私の事を心配してくれる父です。
父の愛情は静かで深くいつまでも。。。
いまだにお魚を食べるのは下手です(苦笑)
homu
アジ・・・確かに
北海道では
昔はあまり売っていなかったような・・
定番の「アジの開き」も
初めて食べたのは、小学校の頃、東京で・・ですから(笑
最近は北海道ではあまり見られない魚も
よく見るようになってきたので
色々楽しめていいなぁ~なんて思います。
僕は父親がいなかったのですが
母親代わりだった祖母で同じように思う事があります。
いつも「当たり前だ」と思っていた祖母の家事。
料理、洗濯、掃除・・・
僕が寝転がって漫画を読んでいたりしていても
常に動きつづけ家事をしていた祖母。
専業主夫になって
いまさら、感謝の意が沸いてきました。
もう亡くなってしまったので遅いですが・・(涙
もし生きていたら、
素直に家事のこと、僕の育児の事を
感謝しているといえるのに・・なんて思います。
話は変わりますが魚の骨。
娘は魚が大好きなので
小さい骨を抜くのが最近はなれてきました。
毛抜きを使ったり、小さくきってみたり・・
でも結構時間かかりますよね~(汗
いが
もくさん、こんばんは。
食べ物を通して家族のことを思い出すことってよくあるような気がします。
もくさんのお父さんもまた素敵な父だったのですね。
そんな思い出を思い出してもらえてうれしいです。
homuさん、こんばんは。
北海道ではアジってとれないんですかね。開きはアイルランド産だし、どうも北海道ってホッケやシャケのイメージが…(笑)
当たり前に家族がやってくれていたことを、自分が体験することでありがたみがまたわかる…。
そんなことも子どもが生まれてわかったことのひとつですね。
さかなの骨、たしかに時間がかかりますよねー。
しかし魚は食べさせたいし、肉よりもよく食べるし…。
homuさんの娘さんも魚好きなんですね。
上のもくさんの小さい頃のような光景が繰り広げられているのかなあ…なんて思ってしまいました。