炎のあるリビング

stove
薪ストーブに火を入れた。

薪ストーブは楽しい。
ほんの少しの古新聞や焚き付けの枝に薪を組み、火を入れて炎がほのかにあがる瞬間は、まるでなにかの儀式のよう。

ゆらゆらと燃える炎、パチパチとはぜる音、ほんの少し香る煙、そしてゆっくりとしたあたたかさ。

冬の寒い日に、雪を見ながら火遊びをする時間は、まさに至福の時間だ。


いよいよ2004-2005年の冬も終わろうとしている。

この薪ストーブだが、今年も火を入れた回数は少なかった。
ブログの記事によると、初めて火を入れたのは10月1日。

今年は年末年始の帰省をしなかったので、比較的家にいることが多かった。
しかしそれでも薪ストーブに火を入れた回数は10数回といったところ。

本当はもっと火を入れたいところなのだが、なかなか難しい。
それはこの家の設計、薪ストーブの基本方針による。

-薪ストーブは遊びの要素。


薪ストーブというのは、時間をたくさん必要とするものだ。

薪の確保、つまり林産家に交渉して譲ってもらい、木を切り、自宅まで運び、薪割りして乾燥する過程。
そして、燃焼中も薪を追加したり、吸気排気を調節して火力を調節する必要がある。
ときには煙突掃除も必要だし、排気煙をクリーン化する触媒の手入れも必要だ。

残念ながら、今の私たちにはそんな時間的余裕はとても無い。
つまり我が家の薪ストーブはメイン暖房としての地位を与えられていない。

すると薪ストーブなしでも十分暖かい石油による暖房設備を備えることになる。

石油ストーブ消して使えば?という声も聞くが、高気密高断熱住宅においては、石油ストーブを消したところで、そう簡単に温度は下がらない。
外がマイナス20度くらいあっても、石油ストーブを消しても1日くらいは十分暖かいのが、今の北海道の家。
まさか3日先の薪ストーブのために、今から石油ストーブを消しておくのも現実的ではない。

そんな状況なので、思い立って薪ストーブに火を入れても、こんどは暑い。
真冬なのに、はだかに近い格好で汗ダラダラ流しながら、火をいじるのはかなり変な光景。

微火力で燃やせば良いのだが、たまにの薪ストーブ、ついつい薪を入れたくなってしまう。
もちろん窓を開ければ温度は下がるけれど、せっかくの暖房なのに、マイナスの風を取り込むのもちょっと。


というわけで、なかなか薪ストーブの出番は増えない。
「2ヶ月で無くなるかも?」と言われていた、家を建てたときの余り木材はまだ潤沢にあって(3立方メートルくらいか?)、庭の一角を占領している。

秋頃になったら、今度の冬こそは!とまた思うんだろうな。

いつか歳をとって時間的な豊かさを手に入れるときが来たら、石油ストーブの利用を全面的にやめ、薪ストーブだけで一冬過ごしてみたい。

黒いストーブを見ながら、そんなことを思った。