子どもを持つ理由

先日、子どもを持たない人たちと話をしていたら「なんで子供なんか欲しかったのさ?」という話になった。
ふーむ、なぜ、か。
面と向かってはっきり問われると、確かに結構難しい質問かもしれない。

結婚したら子どもを持つのが普通…とも思わないし、子どもが老後の面倒をみてくれる…という期待も今のところは持っていない。

たしかに彼らが言うように、子どもが変に、言い方を変えれば自分たちにとって不利に育つリスク、たとえば犯罪者加害者とかニートになってしまうリスクはゼロではないし、極端な話、自分の子に殺されてしまう人だっている。先天的、あるいは後天的に異常や障害があるケースだって考えられる。

そうでなくても、子どもひとり何千万円かかる…なんていう話も聞くし、損得だけを考えたら、たしかにそういう疑問を持つのも理解できる。


さて、新生児が生まれて間もない今、たしかに子育ては大変だ。
寝不足は解消しないし、行動も大幅に制限されている。

でも「大変なこと」にばかり目がいくけれど、でも楽しいこと、嬉しいこともいっぱいあるし、今はまだ新しい命そのものが嬉しい…という気持ち。それは理屈じゃなくて、もっと原始的なものなんだろうな。

一緒になりたくて結婚した妻との間に生まれた子ども。
どこか妻の面影と自分の面影がたしかにある。

なにが嬉しいのか全然わからないけれど、嬉しそうに笑う息子の顔を見ていると、あるいは幸せそうな寝顔を見ていると、理由云々ではなく、あなたが生まれてきて良かった…と心から思える。これはオーバーでなく、本当のこと。

そして子どもが大きくなるのはすごく楽しみだし、彼が大人になるまでの間に一緒にやりたいことは山のようにある。
彼に伝えたいことだって山盛りだ。

子どもがいないほうがふたりの人生を楽しめる……たしかにそう考えていたこともあるし、それはある意味では事実なのかもしれないけれど、でも子どもがいる夫婦の人生も、また楽しみがあるし、今は「子どもを持つ」という選択をしてよかった…と思う。

一人の人間の基礎をつくり、人としてしっかりと育てる大きな大きな責任。
そしてこれからもっともっと大変なことがあるんだろうし、本当に何千万円もかかるのかもしれないけれど、でもそれでも子ども達がきちんとした「人間」になるように、父ちゃんも母ちゃんもチカラをあわせてがんばるよ。

…なんというか損得じゃなくて、子どもの存在って別のものなんだな。
自分と妻との間に子どもが生まれて、自分で抱いて、はじめてそれがわかった。

「なぜ子どもを持とうと思ったか」という質問の回答にはならないけど…。


で、最初の質問、子どもを持つ理由ってなに?って聞かれたときの答え。

それは自分が生まれ、今こうして幸せで楽しい人生を送っている「なにか」に対する恩返し…かな。
「なにか」って親とはちょっと違うような気がするし、漠然としていてよくわからないけれど。

子どもを持つみなさん、欲しい方、欲しくない方、どんな考えをお持ちですか?