働く目的

今日は自分の会社のエライ人がやってきて、売上げや利益の話を聞かされる日だ。
自分は民間企業のサラリーマンなので、時にはこんなこともある。

なんのことはない、売上が少ない、売上をアップしろ。利益を上げろ。
このままではおまえらに明日はないぞ、ということを言いに遠くからわざわざ来る、というわけ。

しかし、いつもこの手の話を聞くたびに
「そっかぁ、じゃうちの会社のために明日からもっとがんばろう!」
とはどうしても思えないのが正直なところ。

まわりの同僚や管理職の顔を見ていると、エライ人の話を真剣に聞いて、なんだか闘志がみなぎっている…という印象を受けるのだけれど、自分は上の空というか、なんだか自分とは全然関係ないことを言われているような気がして、どうも真剣に話を聞けない。

そこには「係長」とか「課長」とか、そんな肩書きを早くゲットするべく、あるいは生活のさらなる安定のために全力でシッポを振っている人たちと、そういう彼らを冷ややかに距離を置いて見ている冷たい自分がいる。


自分にとってのサラリーマンとは、サラリーをもらうためのものでしかなく、それ以上でも以下でもない。

妻や仕事をがんばっている人たちを見ると、自分とは違う考えのもとに働いている人がいる、というのはわかるけれど、でも自分にとっての仕事とは、単に時間を売ってお金をいただいているだけだ。

似たような仕事で似たような給料の仕事があれば別に転職しても良いし、たとえば転勤を命じられたりした日には、その日のうちに会社を辞めることを決めると思う。
自分にとっての今の仕事の重みなんて、しょせんその程度だ。

システム開発という仕事がまったくおもしろくないか、というとそういうわけではないけれど、しかし今後何十年も積極的に続けていきたいほどのものでもない。

会社の目的は、利益を上げること。株式会社だから株主のために。
そのあたりと自分が働く目的とが乖離しているような気がするからだろうか。
そもそも株主っていったい誰だろう?


現代社会において、人が働く目的って、本当はどういうものだろう。
仕事を通して輝いている人を見ると、たとえば仕事を通して「人に喜ばれたい」とか「人の役に立ちたい」とか、そういう目的を持っている人が多いような気がする。

自分の仕事は別に誰も喜ばないし(業務の効率化=人を減らすためにコンピュータシステムを設計して作る、つまり表面だけ見ると、喜ばれるというよりむしろ現場からは嫌がられる)、ありがとう、なんて言われたことは一度だってない。

別にありがとうと言われる仕事がしたいわけではないけれど、でも一日パソコンと向かい合ってプログラムを書いている仕事というのも、それほどいいものではない。ときには一日で「おはようございます」「お先に失礼します」の二言しか口を開かないこともある。

イヤな上司がいるわけでもないし、不当に労働時間が長いわけでも、めちゃくちゃ忙しいわけでも、異様に給料が安いわけでもない。
どちらかといえば休みは多い方だし、なにも不満がない平穏な会社員生活だけど、でも、なにかわからないモヤモヤしたものに支配されているような気がする。

いったいそれはなんだろう。

そんなことを思う今日このごろだ。