グレートかーちゃん

やむにやまれぬ事情で(?)専業主夫になり、泣く乳児を手に途方に暮れる日々で始まった子育て。

子育ては楽しい部分もあるけれど、でもツライ部分もそれ以上に多い。振り返ってみれば、子ども相手に「これは我慢大会、いや修行だ…」と思うことも多々あった。
それでも今年は長男が5歳になり、次男も3歳をすぎて、なんとなく子育てにも一息感がでてきて、パパスイッチなんていうパパ向け子育て支援事業をやってみたり、厚生労働省から「イクメンの星」という称号をもらって、新聞だのテレビだのが取材にきたりもして、もしかしてオレってイクメン?とか思っちゃうこともある。

でも、イクメンというテーマでなにかをしようとするとき、コラムを依頼されたとき、なんか人前でしゃべったりするとき、うちは二人三脚です!なんて言うとき、どうしても気になることがある。
それはかーちゃん、つまり妻の存在だ。

なんだかんだ言っても子育てにおける「かーちゃん」の存在は大きい。
たしかに妻の仕事中、自分が子どもを引き受けていたけれど、やっぱり子ども達はかーちゃんを心のよりどころにしていた。

子育てしてます!二人三脚です!なんて口では言っていたけれど、でも今思えば、実際にはやっぱり自分がやってきたことは妻のサポート止まり。

パパが代われないのは出産と授乳だけ…なんて言うけれど、本当だろうか。
パパが子育てに当事者として参加することはとても意義があるけれど、でもだからといってかーちゃんの代わりになるかというとそれは違う気がする。

たとえば子どもが泣きやまないとき。自分なら「よしよし」と抱っこしてあげる時間には限界があるけれど、かーちゃんはいつまでもいつまでも抱っこしている。
子どもが病気になると、自分はすぐに本や病院に頼って解決しようとするけれど、かーちゃんはなによりも子どもの気持ちを受け止めようとしている。子どもに共感する力、そして子どもへの愛情…。
どれをとっても自分はかーちゃんにかなわない。

なかでも子どもの話を聞いて、その後ろ側にある気持ちを汲み取る…そういった心の部分はまったく自分にはかなわない。
だからやっぱり子どもたちは最終的にはかーちゃんを頼りにしているし、心のよりどころにしている。やはりかーちゃんは偉大だ。

さて、そんな我が家にもまた来月には新しい命が誕生する予定だ。
やっぱり第1子よりも第2子のときのほうが余裕があったし、子育てを楽しめた部分が多い。それなら第3子はどうかな…?
子ども達は、自分は、そしてかーちゃんはどんなふうに第3子を迎えられるのか。

それが楽しみな冬の日々だ。